さて, このPerl入学式という勉強会は, 多くのスタッフと参加者の方に支えられて, 今年で3年目となりました.
なので今年度, 東京, 大阪, そして福岡で実施されているPerl入学式に参加している方は, いわば「Perl入学式 3期生」と言うことが出来ると思います.
今回のアドベントカレンダーでは, 「Perl入学式の歴史」として, Perl入学式がどういうきっかけで生まれ, どのように歩んできたかを, 折角の機会なので紹介していきたいと思っています.
というわけで, 今日はその中でもPerl入学式の初期, 準備期間にあたる2011年前後のお話をしたいと思います.
...さて, 2011年という1年は, 自分にとっても, Perl入学式にとっても, 非常に大きな1年でした.
「自分」という観点で言うと, 今現在自分はGaiaXという会社でPerlのエンジニアをしている訳ですが, その原点というか, スタート地点は間違いなく2011年のYAPC::Asiaでした.
東工大最後のYAPC::AsiaだったYAPC::Asia 2011に参加し, Perlという言語と, そのコミュニティの面白さを身をもって感じて, 「自分もこの人たちの中に入って行きたい, Perlという言語で仕事していきたい!」と, 強く強く感じたものです.
そして, そのような思いがPerl入学式の設立にもつながっていきました.
きっかけは, YAPC::Asia 2011の1ヶ月か2ヶ月後あたりに開催された, 関西オープンソースフォーラムでした.
最初は行くつもりがなかったのですが, Perl入学式の初期メンバーの1人, @nqounetさんがKansai.pmという, 関西地方で活動するPerlコミュニティのブースを出していたので, それを見に行こうか, と思い, 足を運びました.
そしてそのブースで, 私と@nqounetさん, そしてたまたまブースにいらっしゃっていた, 同じくPerl入学式の初期メンバーの1人, @azumakuniyukiさんと話している中で, こういう話題が出てきました.
「Perlの初心者向け勉強会が欲しい!」
前述の通り, 当時の自分はYAPC::Asia 2011で「Perlって面白い! Perlの世界にもっと飛び込んでいきたい!」と思っていたので, いわゆる「自分よりも出来る人」に学びたい, という意欲が非常にありました.
自分よりも経験のある方, 例えば@nqounetさんや@azumakuniyukiに講師になってもらって, Perlを学べれば, きっと1人で学ぶよりいいはず... と, 自分はそのように考えていたのだと思います.
...で, 「とりあえずツイートしてみて, 反応を見てみましょうよ!」と, 確か@nqounetさん辺りに言われて, twitteで「Perl入学式的な初心者的勉強会をやってみたい, という話が出てきた!」みたいなツイートをした所, JPA代表理事の@lestrratさんにそのツイートがRTされていました.
そのRTで, 「JPAの方も見てくれているし, これはいっちょ頑張ってやってやるか!」という気持ちになったのは事実で, そこから, 11月末か12月序盤頃に, Perl入学式の開催に向けた決起集会を開催.
そして, 翌年2012年の1月から年12回(最終的には11回となった), 第1期となる1年間のカリキュラムをスタートする! ...という事になったのです.
そして, 翌年2012年の1月から年12回(最終的には11回となった), 第1期となる1年間のカリキュラムをスタートする! ...という事になったのです.
その決起集会は, 当時@nqounetさんが運営しておられた新大阪コワーキングスペースという場所で開催したのですが, ここでほとんどの「今のPerl入学式で大切にしている事」が定まっていました.
プログラミングを学ぶにあたり, 環境構築が一番ハードルが高かったという自分の経験から, 最初は「環境構築」からスタートする所.
上辺の知識だけではなく, Perlから他言語に挑戦する際にも役立つであろうと考え, 長期的に開催し, 環境構築含め基礎からしっかり学んでいくという所.
座学だけでは面白くないに決まっているから, 座学と問題挑戦と解説を繰り返していくスタイルで進めていく所.
1回だけでは参加出来ない人もいるだろうから, 「補講」と称して同じ講義を2回する, というスケジュール.
これらは今現在のPerl入学式でも大切にしているところで, これらの特徴がPerl入学式の独特の文化の源となっていると思いますし, だからこそ運営している中で, これらの部分はとても意識しています.
...しかしまあ, 今だから正直に言うと, あの時の牧さんのRTがなければ, Perl入学式という勉強会は生まれてなかったかもしれませんね...
そういう意味もあり, 後に, 牧さんやJPAからお声がけを頂いて, Perl入学式の特別編をYAPC::Asiaの会場開催出来る! となった時は, もう本当に泣きそうなくらい嬉しかったのを, 今でも覚えています.
...さて. そんな感じで生まれたPerl入学式, 当初は自分は裏方に回って, @nqounetさんや@azumakuniyukiさんに講師をやってもらおう! と思っていたのですが, 当時学生で時間に割りと融通が効いた事もあり, 気がつけば自分が中心に動いていて, 初回の講師も自分がやる, という事になっていました.
当時は, 「これは大変なことになってしまいましたわ...」と思ったりしていたのですが, 後々考えてみると, それは自分がエンジニアとして, 特にPerlのエンジニアとして成長する中で, 大きな成長の原動力になっていました.
というわけで, 次回「Perl入学式の歴史 〜その2 2012年〜」では, 「講師として教える事」と「Perlを学ぶ事」という話, そしてPerl入学式の1年目となる2011年の活動について, 紹介したいと思います.
なお, 明日のPerl入学式アドベントカレンダーは, 「in東京」の講師など, Perl入学式の活動に積極的に取り組んで頂いているサポーターの@xtetsujiさんによる, 「いつもの風景」とのことです. こちらもお楽しみに!